フィールドワーク・・・国立歴史民俗博物館(歴博)へ行こう!

2018年4月1日(日)、26名の参加で実施されました。

 

 これは「佐倉の桜ーガラス屏風」です。入口を入って売店側の大きなガラス窓を見ると…見事な満開の桜が私たちを出迎えてくれました。

 


国立歴史民俗博物館見学   201841

はじめに 

1016分京成佐倉駅からバスに乗り、歴博玄関前に到着。歩いて行った人ももちろんいました。

 館内に入り、売店側を見ると、ガラス屏風に見事な満開の桜が「描かれて」いました―それは本物の桜です。売店で絵がガキとして売られているほど美しい光景なのです。

 「見学」と書かれたものを首に下げて、午前中は自由見学タイム。多くの参加者が企画展の「世界の眼で見る古墳文化」を見た後、それぞれの展示ブースに散っていきました。(ちなみに私はお目当てだった第6展示室を見学した後、外の桜の下で昼食をとりました。) 

 

ガイダンスルームで

1250分再集合し、まずは参加者の自己紹介。神奈川歴教協のみならず、非会員の方や東京・千葉の方も合わせて総勢26人。そのあと横山さんから歴博についての説明がありました。以下横山さんのお話の概要です。

-この博物館は、有名人や有名なものばかりの展示ではなく、人々の暮らし、生活や社会がわかる展示を追求している。1968年明治維新100年の記念事業として作られた博物館だ。しかし、初代館長井上光貞さんや歴史学者・研究者などが「明治100年の顕彰」に反対し、先述のような趣旨での設立となった。

 正式名称は、「大学共同利用機関法人、人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館」という。このようなところは全国に6か所ある。(立川:国立国文学研究資料館、大阪:国立民族学博物館、総合地球環境研究所、国立国語研究所など) 大学や諸機関との共同研究が主で、そこが運営している博物館だ。

 1990年代からは博物館を市民がどのように使えるものにするかが課題となり、博物館で「モノ」を介して館員と対話し、研究も進めていくというスタンスになった。

 今は博物館型研究として、モノを集め展示し、研究を進めている。しかし、研究に追われ、市民への貢献度はアップしていないかもしれない。展示するものは、客集めのためのものはだめで、あくまで研究対象としてのモノだ。――

 以上のようなお話の後はいよいよガイダンスルームから階段を下りて「第3展示室」へ。歴博は広くて全部歩くと4kmになるとのことでした。

 

 

第3展示室

3展示室は、2000年代前半までの研究成果の展示がされているそうです。2008年にリニューアルしたとのこと。以下、断片的ではありますが、メモを起こしていきます。

全体を①国際社会の中の近世日本 ②都市の時代 ③人とモノの流れ ④村から見える近代、の4つに分けて展示してあるとのことで、入口の壁には「世界の中の日本」として「萬国絵図」があり、静かに流れている音楽は、シーボルトが日本を音で表したらこうなるということで作ったもの。「萬国絵図」は17世紀前半にかかれたもので、世界にはどんな人がいるかを表している。男性が武器を持っているのが共通のようです。

 

ついで登場したのは、大きな「江戸図屏風」天守閣のある江戸城が描かれ、家光の世はめでたいという絵だそうです。面白いのはその絵の中に傘などで顔が見えないようにして家光が17人描かれているということで、指摘されて見てみると確かにいました。また、朝鮮通信使も描かれています。


絵図の次は、「モノ」ー生糸の輸入国から輸出国へと移り変わるさまがわかる展示へ。初めは銅(オランダに)、昆布、いりこ、などを輸出していた。横山さんの高校教師時代のいりこを生徒達と食べる寸前までいったのに梅雨時特有の状況が発生し、食べることができなかったという実践話は興味深かったです。味の感想も聞きたかったのですが…。

鎖国の4口のうち、【琉球】のコーナーでは那覇の港を描いたものが展示されていました。丸に十の字は島津のマークで、ここが昆布の中国へのルートの一つだった。

 

【長崎】は出島の図で、オランダとのやり取りは双方向で、日本側は蒔絵などを注文で作っていた。陶器や磁器も。

 

【蝦夷・アイヌ】では、アイヌの人の生業が絵巻物となっていました。アイヌは、北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌということを知りました。その中のウルップ島ではラッコ漁が行われていたそうで、ラップ島ともいわれるくらいで、ラッコの毛皮はテンのそれより高級だそうです。(どっちにもなびく毛皮で、「ラッコのような人」というのはどっちにもなびく優柔不断な人のことをいうそうです。)ラッコ漁は危険を伴うが、長崎経由で中国へと輸出された。(1760年代から1810年代で年間1000枚)また、輸入された蝦夷錦は煙草入れ等にした。

 

兵農分離、人々の知識への期待、村落運営などが要因となり、文字の役割が大きくなっていった。そこで寺子屋が必要になり、19世紀に増加した。歴博ではその寺子屋を再現(?)しており、ボランティア100人ほどが訪れた子どもたちに対応しているそうです。

寺子屋の基本は自習で、今でいえば公文式の教室のような感じだった。子どもたちは一律にこれをやりなさいと言われるわけではないので、いたずらをする子もいたようで、やかましくもあった。筆子塚によれば千葉県だけで3300人の師匠がいたというのには驚きました。全国には何万人いたことでしょうか。

近世の研究の大半は古文書を読んで復元などをしているので、近世の展示ができるそうです。横山さんが豊かに語る近世の社会の様子はその文書を読み解くことによっていることがわかりました。

 

【地図】目に飛び込むのは伊能図。伊能忠敬は基本的に海岸線を歩いたので内陸部の記述はない。床にはその伊能の歩幅が描かれているので、それを踏んで歩いてみると、一歩の歩幅が長く、健脚だったことがよくわかりました。また、このコーナーには入口で見た「萬国絵図」の現物がある。

 

【日本橋近辺のジオラマ】防火のために町が三角形に作られているのがわかる。もともとは移動式の店であった「床店」では、古着などが売られていた。そこで働く人や荷担ぎの人夫、こじき、道具を持って歩く職人(髪結いなど)、なども配置されている。長屋や防火用の桶、河岸につないである船や動いている船なども配置されているので、「〇〇を探してみよう」とジオラマを活用できるようになっている。それらの「モノ」も想像ではなく絵図などから復元したものだそうです。

 床店は初めは屋根が板葺きだが、定着すると瓦屋根になるという。

河岸の近くは一等地で大店だとその間口だけ船を接岸できるから、大きいところは横づけで、狭いところは縦に船を接岸している。江戸の9割が不在地主なので、町の人たちの構造も三重四重の構造になっている。

 女髪結いは基本禁止されていて、道具を担いでいるのは男用の髪結いで、女性相手の人の荷物は髪漉きの櫛とびんつけ油を風呂敷に包んでいるだけ。(客の職業にもよるが、ふけとりが主で、洗うのは月に1回ぐらい。すいて油をつけて結わく。)髪結いは株を持っていて、「まわり髪結い」は、その町内で株によって認められている範囲でしか営業ができない。そして株をもっている人の代わりに上納する。「髪結い床」もある。「髪結いの役」をする代わりに権利をもらったものもいる。その「役」とは、汚い囚人の髪の毛を切るというものだった。そういう「役」を勤めるのは江戸時代一般的なことだった。質屋が床店の株を買ったという証文もある。

 非人は死刑の手伝いをしていた。

 物売りが多いのは、江戸は土地代が高いので店を持てないからで、表店商人は道に面して店を出せる。裏長屋の人たちは路上で商売をする。もとは棒手振りだった。床店の営業は幕府に申請してからだが、振り売りに関してはそこまでの制約はなかった。

 

 【都市の文化】絵草紙、今でいえばブロマイドは振り売りではなく、店で売っていたようだ。

 

 【着物】展示されているのは、公家・武家・町方のもので、農民のそれがないと思いきや隣のコーナーにあった。北前船で都市から出たボロを運び、そのボロを裂き織にしてまた床店で売るということをしていた。染料には紅花を使っていた。展示してある北前船で昼寝をしている船員がいるのは、積み荷がボロと塩だから腐るわけでもなく急ぎではないからだという。(なんと芸が細かい展示なのだと思いました。)

 

 【北前船のルート図】扱っていた荷は、布(ボロ)だけでなく、サケやニシン(干して砕いて魚肥にした)、魚油など。

 

 【おかげ参りの絵】しゃもじを持っていき、差し出すと地元の人は何かをいれてあげることになっていた。

 【生糸の輸入国から輸出国になったことがわかる展示コーナー】メタルガヤ(植物)の湿度計で湿度調整をしていた。技術+工夫(?)+商売の仕方がそのカギだったようです。

 

 【菅野八郎】よく目にするペリーの顔と文章の作者である菅野八郎は一揆にも関わり「世直し八郎大明神」といった。福島県伊達市にある大きな石には「八老魂留此而祈直」(八郎の魂ここに留まりて直なることを祈る)と彫った。(菅野八郎 18101888年)

 

学校で使える教材

3展示室見学の後はガイダンスルームに戻って、主に小林さんと島さんから学校で使える教材についての説明を受けました。

 江戸図屏風

    床置きパネルは、1.4倍の大きさで、床に置いて靴を脱いで上がって絵を見たり、描かれたものを探したりすることができる。

    ミニチュア版(実物の2/5サイズ)

    ジグソーパズル

    Web―デジタル画像―すぐに拡大ができる

 洛中洛外図屏風

 戦争ポスター (例:「この仇は俺たちが討つ!」「翼だ油だ増産だ」「少年産業戦士募

集」「砲弾羊羹」「大東亜戦争だ必ず勝つのだ」

 すごろく

 

 展示されていたものがより身近に感じられる教材で、子どもたちは夢中になって取り組むだろうと思いました。(実際私も絵図から何かを見つけたりパズルをやったりして面白かったです。)

 博学ルートということで、子どもたちと来館すると無料。寺子屋体験、古代の衣装を着る体験、中世の食事盛り付けなどの体験ができるほか、小学生向けワークシートも用意されています。

 それぞれ宅急便で学校まで送ってくれるとのことです。

 

 参加者の感想はー

*再度見学したいと思うほど充実した施設でした。

*大人だけでなく、実際子どもの利用者も多く驚かされました。本当に奥が深い内容なので、またタイミングを見て来てみたいと思っています。本当に来て良かったです。

*自分1人だけで観ていたら見逃してしまうような事柄も、講師の方の丁寧な解説で新たな発見として味わうことができて有意義な時間でした。また、学校での資料の使い方の案内をして頂いたことで、教材として身近に感じられました。機会を見つけぜひ活用したいと思います。

*初めて歴博に来ましたが、展示室の広さ、展示品の多さにおどろきました。横山先生の開設と共に見る見学会は、非常に楽しかったです。

*文献を読みこんで、具体的な形でていねいにつくりこんだ資料のおかげで、人々の暮らしを鮮明な形で見ることができ、よかったです。…(中略)…歴博があまりに遠いのが残念です。今回見学した展示を授業に活用できたらと思います。

*見学じたいもとても充実していたが、それ以上に横山さんの解説つきで見学できるなんてとてもわかりやすく、スーッと理解できました。一度は目にしたことのあるものでも、奥が深く、近世にぐんぐんひきつけられていきました。

*横山先生の説明により、1つの絵、1つの模型から、様々な意味があることがわかりました。これから博物館に行くときには、そこに描かれたものや作られたものの意味を考えながら見学できそうです。

*視聴覚資料、特にデジタルデータとされた画像を用いて授業を展開してみたいと思いました。

*横山先生に解説していただいて、知らない事がたくさんあって、生徒に教えるときに役立ちそうですし、自分自身もっと調べなくてはいけないことがまだまだあるなと感じました。博物館の貸し出し資料を使って江戸時代の授業をすると生徒も楽しんでくれると思いました。

*一人で見ているだけだと、ただ素通りしてしまう様なところも説明していただけて良かった。

*歴博は初めてでした。資料多くて一部分の見学でしたが、国の施設は立派で見ごたえがありました。

*大変勉強になりました。特に横山さんのお話にもあったように、庶民の生活を中心に展示している点がよかったと思いました。また、関東大震災での朝鮮人虐殺のことも言及していた点はよかったと思いました。

*はじめて歴博に見学に来たのですが、貴重な資料が1日では見て回りきれないほどたくさん所蔵されていて驚きました。また、横山先生の解説が大変おもしろく、同じ説明を子どもたちに聞かせることができたら、たくさんの生徒が歴史学習に対する関心を高めることができるなあと感じました。

*歴博には、何度もきていますが、そのたびに変化し、発展し、充実していることを感じます。歴教協の方々がその力に加わっていることをとてもうれしく頼もしく感じました。

*横山さんの説明はどれも非常に興味深く、お話を聞かなければ(展示を見ているだけでは)分からない多くのことを学ばさせていただきました。

*学校向けに教材として貸し出すサービスがあるなど、教育への関わりを重視した歴博の姿勢はすばらしい。特別展のはにわ、古墳は豊かな内容で圧倒された。

 

 

                      (NY記)

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