2016年度歴教協 沖縄大会参加記

2015年度歴史教育者協議会 宮城大会参加記


神奈川歴教協会員 S.K.



1、初めに


 現在、日本を取り巻く情勢は戦後70年を迎え最悪の状態であると言ってよい。

 

 安倍政権による所謂「安保法案」の審議が結末を迎えようとしており、もしこの法案が成立してしまった場合、世界中への自衛隊への派遣と安倍首相の言う「安全な場所」への「後方支援」が可能になる。その場合、戦地において「安全な場所」というものが存在しないことは自明の理であり、自衛隊が戦闘に巻き込まれることとなる。

 そうなれば、自衛隊員の死者が出ることにもなり、これをきっかけに徴兵や、憲法9条の改正からの更なる軍備化が進められることが予想され、最悪の場合、日本国内での9・11のようなテロが起きる可能性すらも考えられる。十分な審議もされず、そもそも憲法違反であるこの法案を通すことは、立憲主義の原則を覆すことであり、認められるものではない。


 私は私立高校に勤める1教員として、「教え子を再び戦場に送らない」という理念の元、私の教え子たちが自ら考え、行動を起こすことが出来るような生徒の育成をし、70年前と同じ事を繰り返さないことを教育目標としている。私は神奈川県内の私立高校に教員として勤務を始めた、昨年の歴史教育者協議会(以下、歴教協)東京大会より、歴教協の会員として諸先輩方の知識や経験を学び、自信の教育指導に活かすようにしている。

 そのため、今年の宮城大会への参加も決めることとした。



2、全大会について

 

 宮城大会の全体会でいくつかの報告がなされたが、私が注目したのは、現福島県浪江町長の馬場有氏による講演である。

 馬場町長自身も現在は避難生活を続けており、事故から4年経た福島の現状について報告をされた。報告の中では、しっかりとした検証と補償が行われないこと、更なる災害に備えた対策が出来ていないなど、今後の浪江を含めた福島の被災地の展望が一切見えない、更に原発被害の「風化」によって世間の関心を失うことなどを心配されていた。


 私は大会後の現地見学で福島の被災地を回ってきたが、被災地の現状は良いものとは言えなかった。

 放射線量が高い町内で防護服も着ないまま活動をしている人たち、雑草が生えたままの畑、数十、数百に渡っておかれている放射性廃棄物、津波が発生した当時のままで残された家宅等、原発被害が発生した当初の状態がそのまま残されていた。

 その一方で、放射線の除染等が行われ、震災前の状態に戻っていた場所もあったが、そのような場所の放射線量も依然として高い場所が多く、4年を経てもまだまだ原発事故の問題は馬場町長の報告であった通り、先の展望が見えていない状態であった。


 馬場町長は「教師の皆さんに浪江をはじめとした福島の現状を子どもたちに伝え、同じことが起きないようにしてもらいたい」ということを述べておられた。浪江町では、小・中学校を統合し、浪江小中学校として再開をした(当然ながら、浪江町外)が、全校生徒はわずか40名程だという。


 「被災をした全ての子どもたち、全ての浪江町民の未来の為に活動を続けていく」といった馬場町長の発言には、被災を受けたからこその重みというものを感じる報告であった。



3、分科会について


 私は昨年に引き続き、「平和教育」の分科会に参加した。戦後70年を迎えたからこそ、「平和」というものの意味を考え直さなければならないと考えたためである。


 分科会報告から、私が特に興味を引かれたテーマについて報告をしていきたい。以下、報告者及び、研究者の氏名に関しては誠に失礼ながら敬称略とさせて頂く。



Ⅰ、世話人より 京都歴教協・大八木賢治 

~「平和の危機の中で平和をどう発信するか」への討論のために~


 本報告は戦後70年の世論調査のデータを基に戦争や平和に対する意識の変化を見ていくものである。

 最近の世論調査で「“侵略戦争”であったか否か」という問いに対する“YES”という解答が94年の調査(49%)よりも減って(30%)きている。これに対して吉田裕は「断定しづらくなっているのではないか」という分析をしている。つまり、戦争に対しての意識が低くなっている、あるいは戦争責任への追及を終わらせたいという意識があるのではないかという話であった。

 このことについては吉田が同様の今年4月の政治家に対する調査で「謝罪のメッセージを伝えるべき」(46%)「伝え続ける必要はない」(42%)としていることをその根拠としている。


 戦後70年を経て戦争について直接体験をする世代が減ってきている中、戦争について学ぶ手段としての「教育」は非常に重要であり、その中身も今後検討していく必要がある。


 報告の中では「責任なしの平和主義でいいのか?」という発言があった。この発言には戦争責任の追及を終わらせたいとする人たちに対するメッセージだと考えられる。

 「責任」という言葉は決して謝罪をすることだけではない。真実と向き合い、誠意に対応すること、言い換えれば歴史の事実と向き合い、後世にしっかりと伝えていくことが出来るかどうかということだけでも「責任」となり得るのではないだろうか。歴史を捻じ曲げ、あるいはなかったことにする、後世の人々が歴史の真実を知らなくなってしまうようなことこそが「責任なしの平和主義」であると私は考えている。


 

Ⅱ、大阪歴教協・平井美津子 

~原爆孤児 「しあわせのうた」が聞こえる~


 上記報告のタイトルは報告者が今年に入ってから出版した書籍のタイトルである。

 「原爆孤児」の名の通り、原爆によって孤児となった人々に焦点を当てたもので、今回の報告は報告者が書籍を出すまでに至った経緯をまとめたものである。

 

 報告で特に注目するべき点は、原爆において「原爆孤児」があまりクローズアップされることがないということである。広島の原爆資料館にも「原爆孤児」に関する展示は無く、報告者がそのことについて資料館の方に伺ったところ、「確かに無いですね」という返事のみで、詳しい説明等も一切されなかったということである。報告者自身もその詳しい原因についてはわかっておらず、「語る人がいない」か「調べていない」ことが原因ではないかということを述べられていた。


 私の考えとしては、原爆孤児が「社会的弱者」であることが原因であると考えられる。

 現代社会でもそうだが、「社会的弱者」は社会的な扱いを不当に、ないがしろにされやすい立場にいる。条件が「戦争」となればより顕著にそれは現れる。自ら語ることも出来ず、満足に補償も受けられない、「孤児だけに注目出来るほどの問題ではない」という言い方をする人もいるかもしれないが、それこそが「社会的弱者」としての扱いではないか。「原爆孤児を学ぶことは必然的に原水爆禁止へとつながる」当たり前かもしれないが、その当たり前が最近まで行われてこなかったということを証明したという点でこの報告は非常に意義深いものであった。



Ⅲ、子どもと教科書全国ネット21事務局長・俵義文

‐2015年中学校教科書採択と安倍「教育再生」政策‐

~「戦争する国」をめざす教科書は子どもに渡せない~


 この報告では報告者が防衛省の配っている2種類のカレンダーを提示することから始まった。

 このカレンダーは全国の小中学校に配られた2014年と2015年の2種類のものなのだが、その内容が2014年の災害救助が中心のものから2015年は兵器など戦争に関係するものが中心となっていた。このことは明らかに「安保法案」を意識して作られているものであり、自衛隊の役割が変わっていくことを象徴するようなものであった。


 更に、横浜市の公立中学校で富士総合火力演習の見学会が予備自衛官の教員によって実施されたことに触れ、用いる教科書、教員にも安倍「教育再生」の波がやってきていることに触れられていた。

 私は偶然にも今年の夏に開催された富士総合火力演習を見学する機会があったのだが、この演習を見た上で、予備自衛官が自衛隊の説明を授業ですれば、子どもたちが自ずと自衛隊を目指すことが容易に想像された。自衛隊を目指すこと自体は問題ではないのだが、自衛隊を目指す下地となる教育にも安倍「教育再生」の色が色濃く出ているとすれば、それは自ずと「戦争をする国」へと繋がってしまうだろう。


 横浜市では未だに育鵬社の教科書が採用されている。2015年度の採択では3:3で票が割れたのだが、教育長の判断で育鵬社の教科書が採択されてしまった。

 育鵬社の教科書は言わずもがな、安倍「教育再生」の影響を色濃く受けている教科書であり、そのような教科書が国内有数の大都市である横浜市で採用されていることは、今後の採択にも影響を与えるのではないかと危惧している。


 神奈川県内の高校でも、実教出版の教科書に対する圧力がかかるなどして、神奈川県内の教科書問題は苦境に立っていると言わざるを得ない。しかしそのような中でも沖縄の竹富町のように諦めずに行動を続ける事で規模の違いはあれ、一筋の光明が見えてくるのではないだろうか。

 何よりも、現場の教員は大多数が育鵬社の教科書に対して賛成の意を持っているわけではないのである。



4、まとめ


 以上、歴教協宮城大会について述べてきた。分科会についてはまだまだ素晴らしい報告が沢山あったが、自分の力不足でその全てを記載することが出来なかった。いずれ別の機会で報告する機会があれば、全ての報告について述べていきたいと考えている。


 今回の大会を受けて強く実感した事が、歴史の「風化」についてである。戦後70年を経たことで様々なことが「忘れ去られよう」としている。

 先述したが、日本における先の大戦はその最たる例であろう。記憶は風化してしまうものなので致し方ないが、風化しない為の記録をその時々の都合で改ざん、削除をしてしまうことは許されないことである。もちろん、歴史というものはそれを記録する人の思想などの影響が多大に出る場合が多い。しかし、そういったものを比較・検討していくことは、今を生きる私たちの役割であり、その事実を伝えることは私たち教員の役割である。


 私たち自身も1人、学校内だけでは思想に偏りが出てしまうことがある。そうなった際に、あるいはそうならないために全国の先生方との交流が必要となる。

 歴教協大会はそういう場であり、今後とも参加を続けて、自身の学びを深めていく次第である。